『一方、妻は松葉杖』8〜手術説明〜
拙著『夫が脳で倒れたら』(太田出版刊)のスピンオフ(笑)、『一方、妻は松葉杖』。脳梗塞の後遺症の右半身麻痺と格闘する夫の横で、妻もうっかり松葉杖生活に。そんなアキレス腱を切ってから10キロマラソン挑戦までの体験談。文中の「トドロッキー」とは『夫が脳で倒れたら』での表記そのまま、夫=轟夕起夫のこと。※医療の進化で現在は2015年当時とは違う治療方法が選べます! 1から読まれる方はこちらからどうぞ。
手術前日の麻酔医からの説明
ベッドに麻酔医がやってきて麻酔に関する説明が始まった。
私には脊髄くも膜下麻酔を行うという。
下半身全部に麻酔がかかる方法で、脊髄液の中に直接麻酔薬を注入する。一応提案された形ではある。
脊髄に注射針をぶっさすホラーなイメージビジュアルにおののくも、麻酔に関しての知識はないから他の選択肢を出されても判断しようがない。専門家であるところの麻酔医のおすすめに同意するしかない。
感じのいい麻酔医だったからきっと正しいことを言っている!とおすすめを信用することに。
トドロッキーが脳梗塞を発病して入院した急性期病棟で、私が勝手に「イカレ医師」と呼んでいる、怖ろしさを感じざるを得なかった医師と出会ったわけだけど、あれから医師に対しての判断基準がぐっと緩くなった気がする。どの医師を見てもすっごく患者思いの良い人に見えてしまって必要以上に信頼します!となってる気がしてならないが、まあいい。
麻酔医は再び私に選択肢を差し出した。
「意識がある状態でいいですか? それともうつらうつら眠れるようにしますか?」
むむっ。この二択は専門用語皆無で手が届く。どっちでもいいがせっかくわかりやすいのでしばし考える。
私にとっては明日が生まれて初めての手術室体験となる。ドラマや映画なんかで手術風景を目にしたことは幾度もあるけれどきっとどっかフェイク。実際この目で始終を見てみたい。でも患部は絶対見たくない。患部を見ないで、雰囲気だけを楽しみたい。手術ライブを体験してみたい!
「意識がある方で!」
楽しむぞライブ、どうせ下半身の感覚はない。
麻酔医師はリスク説明に。万一死んでも訴えません、と読める書類にサイン。
すると麻酔医、こんなことを言った。
「明日は別の麻酔医が担当します」
自分は明日の手術には立ち会わず、別の麻酔医が現場担当するという。
やだ、そういうパターンもあるんだ!
あなたを信用して身を預けようってのに、会ったこともない医師に脊髄注射されるなんて。大丈夫なんでしょうね明日の医師は!
なんだか騙された気分。口車に乗せられた気分。詐欺にあった気分!
そんな私の心が聞こえたか、麻酔医はこう言葉を付け加えて説明をシメた。
「99.9%大丈夫ですからね」
おっと、マジですか。もやもやが晴れました。ありがとう!
明日の麻酔医によろしくお伝え下さい!
どうせなら100%大丈夫と言って欲しかったし、なんだかんだの説明の前にソレを言って欲しかったけれど、聞けて良かった。
麻酔医師は去り際にこう言って笑った。
「バドミントンですかぁ。多いですね、バドミントン。前回担当したアキレス腱の手術の患者さんもバドミントンでしたヨ」
ほう。もうこうなってくるとバドミントンには申し訳ないが、要注意スポーツだ。格闘技級に気合が必要なスポーツなんだと思う。
手術前日の麻酔医からの説明
入れ替わりで執刀医がやってきた。本日のメーンイベント、手術のリスク説明会開演。彼からアキレス腱縫合術の『手術説明書』が手渡された。
彼は書いてあることをほぼ読み上げただけだが、書かれてあることは平易でとくに理解に問題はない。
内容は主なところでいくと、こんな感じ。
・術後3週間のギブス・シーネ固定の後、装具を約2ヶ月装着、6ヶ月はスポーツなどを自粛してください
・抗生物質の点滴や経口投与で観戦予防するが、無効の場合は洗浄、再手術する。(ただしアキレス腱は感染の危険が高い)
・創部周囲に違和感、しびれ感などが残存する可能性あり
・関節可動域に制限が残る可能性あり
・縫合部が太くなる美容的変化の可能性あり
体育館で術後太くなったっていう存在感が立派なアキレス腱を触らせてもらったので事前に承知していたが、やっぱり太くなるんだね、とこの項目に目がいったため、他の項目はほとんど気にならなかった。リスク的には麻酔の方が怖かったし。
トドロッキーの時は患部が神秘の脳だけに医師に聞きたいことが山ほどあったなとまた思い出したりもして。
どうぞお得意の技で切って繋いでやってくださいな。
とはいえ、同意書にサインしようとペンを手に持てば、いよいよ手術を受けるんだなぁと若干の緊張感も出て来た。そこで執刀医が突然、それまでの淡々とした口調から一転、明るくこう言った。
「ばっちり縫いますよ」
おっと!
また最後にアメが出て来た。
そんな事言ってくれちゃう? ありがとうっ!
こっちはばっちり縫ってもらいたくて来ております、ひとつたのんます。
執刀医の口元はマスクに隠れてたけど笑ってるように見えたし、手はポケットに入ってたけど、まかせろって感じで親指を立てていた、多分。
医師によって器用な人も不器用な人もいるはずで、縫いあがり方の技術点や芸術点は医師によるはず。過去の手術例だとか縫いあがり方見本を比べて執刀医を選べるわけじゃない。であれば人柄で選びたいところだけれど、人柄の本当のところなんか診察室でわかるはずもない。短い会話の中で感じがいいかどうかだけで判断するしかなかったわけだけど、「ばっちり縫いますよ」には気遣いが入っている、と思えた!
いい医師ぢゃん! 信用します! 執刀医があなたでよかった! 患者の気持ちをちょっと上げる魔法の一言を持ってる医師が好き。繋がればいいんだから、それ以外の少々の失敗には目をつむりましょう! きっとその失敗はあなたを成長させるはずだから。
性格が単純な自覚はあるし、医師への信頼基準が下がっている可能性もあるけれど、医師の一言でこんなに気持ちが上がるのは、やっぱりどっか不安があるからだ。
サイン終了!
他にも看護師や薬剤師や医事務の人たちが、次々書類を持って来た。
『入院申込書』
『入院診療計画書』
『共同同意書』二種
『自己負担となる診療費に関する同意書』
『お薬確認書』
自分が何にサインしてるのか分からなくなりそうになったところで、術前の一連の儀式は終了となった。
夕刻、大人になりかけの息子が入院グッズの入った旅行カバンを手にやってきた。ニヤケてやがる。母親の残念な事態を明らかに面白がっている。
売店でアイスを買ってきて、ベッドにねそべり、テレビをザッピング。家と変わらずだらりとリラックスし、学校の疲れを癒して帰っていった。
トドロッキーの長期入院で息子は病院の見舞いに慣れている。トドロッキーの時と比べれば、私の入院は数日で体も元気、手術で治るし病院も近所だ。別宅ができたとでも思ったか。
聞けばトロドッキーも大丈夫そうだ。ならばこっちは心置きなく、無理矢理でも入院生活を楽しむのだと、後片付けを一切しなくていい夕食を美味しくいただいた。