『一方、妻は松葉杖』11〜医師の術後報告が「たくさん縫った」の謎〜
拙著『夫が脳で倒れたら』(太田出版刊)のスピンオフ(笑)、『一方、妻は松葉杖』。脳梗塞の後遺症の右片麻痺と格闘する夫の横で、なんと妻もうっかり松葉杖生活に。そんなアキレス腱を切ってから10キロマラソン挑戦までの日々のこと。文中の〝トドロッキー〟とは『夫が脳で倒れたら』での表記そのまま、夫=轟夕起夫のことです。※医療の進化で現在は2015年当時とは違う治療方法が選べます!1から読まれる方はこちらからどうぞ。
手術で「たくさん縫う」はどうなんだろうの疑問
手術後、病室に戻ってからしばらくして、執刀医が様子を見にやってきた。手術についての報告は簡単なものだった。
「アキレス腱は踵近くで切れていたので、踵付近で縫いました」
へえ。
「そのため予定より少し長く切りました。6センチほどです」
ほう。予定が何センチだったかは聞いてないけれど。
「たくさん縫っときました」
微笑んでいた。口もとはマスクでわからないが目元が明らかに微笑んでいた。印象では「たっっくさん縫っときましたよっっ!」だ。グッジョブだったらしい。
ありがとうございますと言いそうになったが、胸にもやもやが噴出して、はあどうも、みたいな受け応えをしたと思う。
気持ちがもたもたしているうちに問いただすタイミングを逸した。私の会話の反射神経がアレなため返答反応が遅いのはいつものこと、
執刀医は、これから痛みが出てくると思います云々を話したあと、目元に微笑みを宿したまま踵を返して去っていった。
たくさん縫っときました、がどうしてもひっかかる。意味がわからない。たくさん縫う事がいいことなのか?
彼は昨日言ったのだ。「ばっちり縫います」と。
とどこおりなく縫います、という意味だと思っていた。たくさん縫います、の意味だったのか?
例えば。写真の場合、ばっちりな1枚を撮るには、シャッターをたくさん押せばいいってもんじゃない。写真のデキとシャッターを押す回数に相関性はない。シャッターチャンスをしっかり捉えることができる人が優れたカメラマンなわけで、結果が同じなら撮影枚数が少ない人の方がプロっぽくすらある、あくまでイメージだけれど。
ひるがえってアキレス腱。治りのいい手術がいい手術だ。たくさん縫うことが、いい手術ってことなのか? 必要最小限で縫うのがいいんじゃないかと思うのはシロウトだから? 微笑みを残して去っていったということは、手術はうまくいったことを私に感じ取ってほしかったんだよね?
たくさん縫う、が謎……。
忘れようと努力中の言葉「針、折れた? どこいった?」の件もあるというのに。
もやもやが消えないが、とにかく切れたアキレス腱が治ればいいのだと気持ちを切り替える。
せっかく縫ったのをまた縫い直しとかは全力で避けたいから、大丈夫風な微笑みを信じるまで!
そんなことよりも、だ。すぐにやっかいな問題が発生する。
血栓症予防策のポンプで体がさらに動かなくなる矛盾
私の身体にはたくさんのものが付けられていた。点滴、尿管、ギプス、紙おむつ、胸にも何かしらの記録計。
さらに術後の血栓症予防のため、元気な左足にポンプが装着された。思い起こせばこのポンプが事の根源だった。必要性があったのかがわからず、このせいで身動きができなくなった。
ポンプってのは、空気圧で測る血圧計の、空気が入る筒部分が、ふくらはぎサイズになったイメージの物体。
筒にコンスタントに空気が出入りし、膨らんだり緩んだりすることで、脚をリズミカルに圧迫し、血液の流れを促す仕組み。
装着中、ぷしゅー、ぷしゅーと間の抜けた音をひたすら発し続ける。
筒に空気を送り出す機械はベッドの柵に取り付けられている。この、器械と筒をつなぐ空気が通るホース部分が私には短かった。元気な左足がベッドの柵にくさりで繋がれているような状態になった。
右のダイコン脚は、手術により脚の機能を失ってただのダイコンになっているというのに、左脚までダイコンと化した。つまり両足の動きが封じられた。
さらに、この日私は生理二日目。こういう日の腰にセットされるべきは、タイトにフィットする下着なのだが、実際にセットされているのは、ふわっとまかれた術後用のオムツのみ。寝返りなんかしようものなら即、朝と同じ惨事が勃発すること必至。シーツが汚れてもいいですよと看護師は言ってくれたものの、もちろん汚したくなんかないのだ。こうなったらもう寝返りはしない! 腰は捻らない!
これで脚と腰の動きが封じられた。
左手には点滴がつながっている。左手を動かすと針が若干神経を刺激して痛みが出る。針を刺し直してもらえばいいのかもしれないが、トドロッキーが入院中に何度も点滴の針を刺し直されているのを見ていた経験から、同じ目にあいたくない欲求が出て、ついでに左腕もなるべく動かさない選択をした。
以上により何も装着してない無事な部分は右手だけとなった。
さて。人間には寝返りが必要である。
看護師は状況を察して寝返り用のまあまあデカくて細長い枕を持ってきてくれた。
仰向けになっている状態で、枕を背中の左側、右側と交互に差し込み替えていくことで、体を若干左右に傾けるしくみ。
まあまあデカくて細長い枕を操作するのは右手。左右の背中の下に差し込んでいく作業は、片手だけではかなり難儀だった。
ナースコールすれば差し込み作業をしてくれるのだろうけど、夜中のナースコールはものすごく気が引けるから自力でやる、を選択。
手術した右足の傷部分は麻酔が切れてズキンズキンとひどい痛みが出ている。予定より長く切ったってことは、伴う痛みも増加したってことなんだと、ここにきてやっと理解するに至った。
痛みで眠れない夜、なかなかうまく差し込みできない寝返り用枕と格闘し、それでも起こる寝返り欲求を、体をもぞもぞさせてやりすごす。
そんな時間を過ごして、夜も深い時間に気がついた。
脚のポンプ、いらねーし!
物理的に一番動かないのが、元気なはずの左足なのだ。ベッドにタイトに繋がれているため膝の曲げ伸ばしができない。足の先を左右ほんの少しずらすのが精一杯。
ギプスの足は、痛いけど動く。ギプスを持ち上げて膝の曲げ伸ばしをすると血行が良くなるのか、寝返りができない方の辛さが少し和らいだ。
ならば、左足のポンプを外せば、左足は自由に動かせて血行だって良くなるはずなのだ。ポンプにつないで血行を促さなくたって、自分で動かしてればいい話。どうせ痛みで眠れないんだから暇つぶしにもなる。
それなのに、血流を促すためにわざわざ身動きできないように繋がれてポンプするって、おかしくないか?
外してくださいと看護師に訴えるべきか、否か。
一人悩むが、夜中はどうしてもナースコールをしたくないセルフ呪縛もあって、訴えるに至らず。そもそも気づくのが遅かったのだ。私はいつも気づくのが遅い。自分に呆れる。結局朝まで耐えることに。
術後のよりどころがラジオだった件
この一夜を支えてくれたのはスマホのラジオだった。ひたすら深夜放送を聞いた。これもトドロッキーの追体験。
トドロッキーは入院生活でラジオが丁度良いと言っていた。音と画像だと、脳をやられたトドロッキーには情報量が過剰なんだろうと理解していたが、私もそうだった。体のほとんどのパワーが傷口の修復に当たっているから、画像を見るパワーはもうない。スマホをタッチして操作するのすら疲れる。耳元で音がしているくらいのラジオの感じが丁度よかった。
ラジオの音楽もトークも、オットの闘病生活を支えてくれた。私もその一夜から、ラジオ愛を持つようになった。
翌朝7時。
身体に付けられたあれこれは、点滴とギプス以外のすべてが取り外された。なんたる開放感! 左足のポンプ、尿管を取ってもらったときの開放感ったら! 気分は草原で両手広げ全力疾走、奇声付き。
懸念の生理はばっちり漏れていて、二日続けてシーツが惨事。もぞもぞしたのが敗因だ。
看護師が、わかってましたよ、という感じで、嫌な顔せず処理してくださったが、やっぱり申し訳ない。
こんなにちゃんと惨事なら、もっと大胆に寝返りに挑戦するんだったかな。いやいやそこは気にしようよ、矜持の問題だ、と脳内論争が起こった。結果は残念だったがナイスファイトだった、ということで終結した。
松葉杖でトイレへ。
もちろん看護師さんに見守ってもらう。
腰回りについた生理を拭きとって、下着と生理用品を普段のものにして、生理で汚れた手術着からTシャツとスエットに着替えて、ハア〜、生き返った気分。
ベッドに戻れば、シーツは取り替えられている。
ありがとうございます。
朝食で食事再開。おかゆがうまい。地獄の一晩が嘘のよう。
もちろん手術で切った足は引き続きかなり痛い。
痛いけれど、ベッドから起き上がれるって素晴らしい。