『一方、妻は松葉杖』14〜リハ友は褒め上手な占い師と不用心な勇者〜
拙著『夫が脳で倒れたら』(太田出版刊)のスピンオフ(笑)、『一方、妻は松葉杖』。脳梗塞の後遺症の右片麻痺と格闘する夫の横で、なんと妻もうっかり松葉杖生活に。そんなアキレス腱を切ってから10キロマラソン挑戦までの日々のこと。文中の〝トドロッキー〟とは『夫が脳で倒れたら』での表記そのまま、夫=轟夕起夫のことです。約4年半前のこと、アキレス腱断裂の治療方法は当時のものとなります。1から読まれる方はこちらからどうぞ。
松葉杖のカスタマイズ
カスタマイズ。
ありふれたシロモノでも、カスタマイズすればとたんにほら、自分用オーダーメイド的特別感を醸す。自分仕様となれば愛着がふつふつと湧く。それが松葉杖であろうとも。
私の使う松葉杖は、病院からの借り物で、松葉杖といえばこれ!な形状と色をしていて面白みは皆無。
握る部分にウレタンと包帯が巻かれカスタマイズされたマイ松葉杖を眺めるに、愛着が湧いてきた。包帯はカラーだったらよかったかな、素材も薄い帆布だとよかったな、なんてさらなるカスタマイズ欲も。
そういえば松葉杖も魔法の杖も同じ「杖」、松葉杖を可愛がってたらそのうち気持ちが通じて、何かの拍子に先端から魔力がボワンと出るかもだ。
だとすれば、ボワンとしか出てこない魔力をコントロールしてパワーを最大限にするのに、修行が必要だろう。
訪ねるのはヨーダみたいな師匠か、それともダンジョン制覇のエントリーをしないと現れない美女マスターか。
妄想が楽しくなってきた頃の2回目のリハビリは、松葉杖での階段の昇り降りの練習だった。
松葉杖での階段の昇り降りの仕方
コツを覚えれば簡単。昇り降りいずれも、『下の段に松葉杖』&『一段づつ』。これさえ守れば歩みが安定する。
『下の段に松葉杖』は、登る時なら下の段に松葉杖とギプス足を残しておいて、上の段に元気な足で一歩を踏み出す。降りる時は上の段に元気な足を残しておいて、松葉杖とギプス足からまず下の段に一歩踏み出す。
『一段づつ』は、一段ごと両足を完全に乗せて、次の一段に進む。一段につき片足でトントン上り下りするんじゃなくて、両足そろうまで次の一段に進まない。
やってみて実感するが、これをやると、のろさが圧倒的。
松葉杖では歩く速度が亀級になったと感じたけれど、階段はそれどころじゃない。ダンゴムシ級とでも言おうか。まだ昇級があったとは。
さて。松葉杖スキルはかなり上がった。ベッドから離れる時も見守りなしになったし、身体にはもうチューブや針はひとつもついていない。自由!
傷口は痛いけど、嬉しくてひとり廊下をうろうろした。
すると即、他の入院患者とのコミュニケーションが生まれた。
頑張り屋のリハ仲間
まずは同室の静かなおばあさん。
4人部屋だけども、私の他にはこのおばあさんだけ。いつもベッドのカーテンを引いていたから、カーテンの奥から時々漏れ聞こえてくる声しか知らなかった。
「痛い〜、痛い〜」
すごく静かで細い声。決して誰かに訴えているわけではない。ついこぼれちゃう、って感じの声。
私の痛さがマックスだった手術後の眠れない夜も、時々おばあさんの「痛い〜、痛い〜」は漏れ聞こえてきていた。
おばあさんは歩行器を使って私よりもずっと、ゆっくり歩く。
私が松葉杖で歩いていると声をかけてくれた。
「偉いわねえ、痛いの我慢して」
いきなり褒めてくれた。
おばあさんのところに娘さんらしき人がお見舞いに来ていたから、きっとあの娘さんを褒めて育てたに違いない。デキた方なのだなあ、とこの第一声で確信したのだった。
「そんなに痛くないんです」
痛いけど、おばあさんよりは痛くないんだと思うから。
「どこを手術されたんですか?」
聞いてみた。
「膝をね」
あぁ、それはすごく痛そうだ。
おばあさんは入院して三週間目で、退院が来週に決まったところだという。
自分はアキレス腱断裂だと伝えた。
お隣のおばあさんが素敵な方だと知れて嬉しかった。
ドギモを抜くほどの親切をしてくれた入院患者のおじいさんとは廊下で出会った。
電話ボックスの前だった。
電話は携帯であっても電話ボックスに入ってする決まりで、その電話ボックスに入ろうとした時だった。
私は電話ボックスのドアを少し押したところで、グルグルと思考が周り固まった。
ボックスの内部はゆったりとしていて、さすが病棟内、車椅子でも入れる広さ。間口も広い。
ところが一瞬にしていくつか問題が見えた。
一つめは、ドアの構造。片手で開けられるが、抑えていないとすぐに閉まってしまうタイプだったこと。
こちらは両手で松葉杖を使って歩いている。片手でドアを開けることはなんとかできても、その後どうしたらいいか分からない。片手で開けたドアを背中や肩あたりで抑えながら、両手で松葉杖を動かして中に入ることなるんだろうが、はて、どうやればいいかな。
二つめ。ボックスの中に椅子がなかった。
立ちながら電話するには、携帯を持つ手が一本必要だが、そうなると体を支えるのは片方の松葉杖一本でだ。立ってられるかな。すぐ疲れそうだな。やれないことはないだろうが、椅子が欲しいところだ。
となると、ボックスに入って電話する行為はいくらか危険を伴いそうだ。
電話をやめようかな。
電話をしようと思っていた相手はトドロッキーだ。それまで簡素なメール文のやりとりはしていて、体調に問題なさそうだということは分かっている。暇だし動きたいしで、電話でもしてみようかなと思っただけだ。
電話はしなくていいや。諦めた時だった。
「ほれ」
声がした。振り向くとおじいさんが立っている。
「椅子、使いなさい」
おじいさんはなんと片手にパイプ椅子を持っていた。その椅子をボックスの中に置いてくれようとしている。
「わわわっっ!!!」
焦った。
何故ならおじいさん、胴全体を覆う大きなコルセットをがっしり付けている。腰まわりの手術をしたのだろうことは一目瞭然。
「あ〜、無理しないでください!」
術後の腰で椅子を運んで来て差し出すなんて、なんて無茶な!
あわてて受け取ろうとしたももの、こちとら両手の松葉杖。全然受け取れない。
危険を冒しての親切を差し出してくれている。無駄にはしたくない。一刻も早く椅子を置いてもたうため、今すぐ何としても椅子を受け取ることにした。
松葉杖でボックスに一旦入り、ボッスクの壁に松葉杖を片方たてかけ、一本の松葉杖とケンケンで空いた片手でおじいさんから椅子を受け取った。
もう、ドアを抑えてなければ中に入れないボックスに、自分はどうやって入り込んだのかも覚えてない。
「この椅子、電話ボックスの椅子だから」
いつもはこの椅子がボックス内にあるらしい。おじいさんはにこやかに教えてくれたのだが、だからって椅子を運び入れる役目を担うのはおじいさんじゃないよ。
「ありがとうございます」
親切には感謝だが、もうしないでほしい。どうかどうか。
「お大事にしてくださいね!」
患部が順調に治りますように。
おじいさんが去っていき、ボックス内で椅子を眺めて思うのだ。この椅子の受けとりは、ボックスで電話をかけることの10倍、難易度が高かったはず。やってる最中は片足の自分がユラユラで危なかしくて、ものすごくドキドキだった。これができたんだったら、もう何でもできちゃうな。
電話はもちろん、椅子に腰掛けて。
片足ギプスの体には椅子って最高、安定感が半端ない。
またおじいさんに廊下で会うことがあったら、体のことなんかをいろいろ聞いてみようと思ったけれど、退院まで会うことはなかった。残念。
ベッドに戻って、松葉杖を眺めながら思うのだ。ボワンと魔力が出たのかなと。こんなことがなければ言葉を交わさなかっただろう人たちと知り合えたわけで。
ファンタジー妄想発動すれば、ダンジョンで出会ったのはカーテンの奥に潜む女占い師と、気のいい不用心な勇者。占い師は褒めて導き、勇者は自らを犠牲にして、諦めかけてた私の背中を押したのだ。
……手術後の痛みから意識をそらしたかったこともあり、しばらくそんな妄想で遊んだのだった。